カテゴリー別アーカイブ: 今昔写真

西大谷

大谷本廟の今昔写真を撮りに行ってきました

一番暑いお盆の季節に、京都の大谷本廟の今昔写真を撮りに行きました。

今回撮影しに行ったのはこの古写真の場所。

西大谷
入り口付近の眼鏡橋から総門へ向かう間の写真です。
総門前の階段あたりから西向きに撮ったと思います。
ここはよく行くのですぐにわかりました。

大谷本廟は京都東山区に位置して、その上には観光地で有名な清水寺があります。
京阪五条駅から清水寺に向かう場合は、このあたりと通るでしょう。

ちょうどお盆の時期は、陶器まつりがやっていて、暑い中人がとても多かったです。

陶器まつり

陶器まつり

ここは大谷本廟入り口前の交差点です。
観光地ということもあって、交通量が半端ないですが、
この交差点は複雑でややこしいので、常に誰かがクラクション鳴らしてる感じです。
タクシー乗り場もあって余計に多い。

大谷本廟前の交差点

交差点を渡ると入り口です。

大谷本廟

大谷本廟は通称西大谷と呼ばれます。
ここは浄土真宗を開いた親鸞聖人のお墓です。
入り口を入ってすぐに橋を渡ります。

大谷本廟の眼鏡橋

この橋、これまで何気なく渡ってたんですが、実は形に特徴があって、いわゆる眼鏡橋と言われています。
別の日に横から写真を撮ってみました。

大谷本廟の眼鏡橋

草が茂っていてちょっとわかりにくいのですが、この場所の昔の写真があります。

大谷本廟の眼鏡橋
大谷本廟の眼鏡橋

冬に行けば同じような写真が撮れるかもしれません。
この眼鏡橋を渡って東に上っていきます。

大谷本廟

奥に見えるのが総門です。
総門前の階段からこちらに向かって撮影したのが今回の古写真のポイントだと思います。
歩いて行くと左手に親鸞聖人の像があります。

親鸞聖人

そのまま進み、総門前のポイントから撮影。

西大谷

西大谷
道の形や植え込みなどから間違いないと思います。
今回は簡単でしたね。

山なので歩くと起伏が激しいですが、
ここには墓地があります。

大谷墓地

奥に行くと清水寺です。
この京都の山の景色はとてもきれいですね。
先日の台風で土砂崩れがあったらしくて、この日はここからは登れないようでした。
日本語でアナウンスされていましたが、外国の方も多く日本語がわからないので、
そのまま奥へ歩いて行く人も多かったです。
こんな暑い中、気の毒に・・・。

私たちはお参りをして帰りました。

大谷本廟

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長岡天満宮、八条池の今昔写真を撮りに行きました

長岡天満宮の今昔写真を探してきました。



電車の場合、阪急京都線の長岡天神を下車して歩きます。
駐車場があるので車でも行けます。

長岡天満宮は、名前の通り菅原道真にゆかりのある神社です。
入ってすぐのところにもこのような案内がありました。

菅原道真

この長岡天満宮周辺は菅原道真の所領でした。
平安時代前期六歌仙の一人、在原業平らとこの地で詩歌管弦を楽しんだといい、
藤原道真に非常にゆかりの深い場所なんですね。
藤原道真が無罪の罪で大宰府へ左遷させられた際に渡されれた、自身の姿をした6センチ余りの木像が長岡天満宮の御神体となっています。

長岡天満宮入り口

丹波街道に面した参道から入ります。
丹波街道は京と丹波、丹後を結ぶ街道。

1900年ごろの長岡天満宮

1900年ごろの地図。
主要な道は今と同じような感じですね。

丹波街道大阪方面

こちらは大阪方面

丹波街道京都方面

こちらが京都方面

長岡天満宮で有名なキリシマツツジ

階段を登ると中央にこのような道があります。

長岡天満宮で有名なキリシマツツジ

この参道の両サイドに植えられているのが、長岡天満宮で有名なキリシマツツジ。
4月末には真っ赤に咲くキリシマツツジを見に来る人たちでいっぱいです。

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今回は季節が違ったのですが、こんな感じですごいことになってます。
これだけのツツジを見れるところはそうないですよね、

このツツジの道は、八条池という池の間を通ります。
この中堤を含む八条ヶ池一帯を「八条ケ池ふれあい回遊のみち」として、
多くの人が散歩などを楽しんでいます。

八条ヶ池

中堤から北側の八条ヶ池の様子。
そうそう、今回探しに来たのはこの八条ヶ池の古写真です。
この八条ケ池は、 寛永15年(1638)に当時の領主・八条宮が造るように命じた灌漑用の溜め池です。

八条ヶ池の古写真
八条ヶ池の古写真
写っている池は八条ヶ池で間違いがないとおもいます。
左手に建物がいくつか建っているので、南側から北側に向かって撮ったのかなという感じですね。

八条ヶ池

八条ヶ池を南側に向かってみます。
台風のあとということもあり、散歩していても気持ちよかったです。

八条ヶ池

古写真に写っている場所らしきところが見えてきました。

中堤

池の向こうに見えるのが、さきほどのツツジの参道です。
ツツジの季節にはここからの景色も最高ですよ。

さらに南に進んでみます。
さきほど見えていた建物と、古写真の建物の角度をあわせて撮ってみました。

八条ヶ池の古写真
八条ヶ池

石の灯篭や、さきほどのキリシマツツジの咲く中堤の橋も同じような場所に写ってますね。
バッチリです!

十条ヶ池

昔と風景が変わっていたらどうしようと思いましたが、
池に立つ灯篭のようなものや、奥に見えるさきほどのツツジの参道の位置も同じです。

さて、次の古写真もほぼ同じようなところで撮られています。
もう少し南側から撮ってる感じです。

南側に行くとこんな看板が。

錦水亭

この奥にはたけのこ料理を食べることができる錦水亭があります。
創業明治14年ということで、ずっとこの場所にあるんですね。
古写真の池の上に建っている建物が錦水亭っぽかったです。

この看板のあたりから写真をとりました。

八条ヶ池の古写真
八条ヶ池

左の奥の方に見えている入り口のようなもの、

八条ヶ池

今もあるのでしょうかね。
錦水亭の看板から中に入っていきます。

錦水亭

風情のある道ですね。
高級料亭に食事に行く気分です。
奥の方に見えてきたアレ。

錦水亭

さっきの古写真に写ってたのはこれだと思います。
「錦水亭」の裏口のような感じでした。

「錦水亭」の入り口近くには、
素晴らしい松もありました。

長岡天満宮の松

来る前は古写真と同じ場所を探すのはなかなか難しいんじゃないかと思っていましたが、
思った以上に昔と同じような景色ですぐに見つかりました。

この後、長岡天満宮をお参りして帰りましたが、
その様子についてはまた機会があれば。

中山寺の参道

中山寺の参道の今昔写真を撮ってきました

中山寺は、兵庫県宝塚市にあるお寺です。
子授や安産祈願で有名なお寺で、豊臣秀吉や中山一位局が訪れ、安産祈願をしました。
中山一位局が、無事に明治天皇を出産したことから、日本で唯一、明治天皇に認められた勅願所となりました。
中山寺の腹帯「鐘の緒」をいただきに、今でも全国から参拝する人が絶えません。

この日も雨にもかかわらず妊婦さんや、小さな赤ちゃんを抱えたお母さんがたくさん参拝に来ていました。

今回の古写真

中山寺の参道

中山寺の山門をくぐった後の長い参道で撮った写真です。
大きく変わってなかったので撮影は簡単でした。

中山寺の参道

右側には華蔵院、左側は宝蔵院へ入る門があります。
参道は昔に比べるときれいに舗装されて、参道の先に見える本堂は、撮影した季節は大きくなった木の緑で隠れていますね。

撮影場所はこのあたり



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清水寺門前

清水寺の仁王門脇から松原通に向かって撮ってみました

お盆のお墓参りを兼ねて、清水寺に行ってきました。
清水寺には入っていませんが、入り口で撮れる今昔写真があったので、トライしてきました。

今回の古写真はこちら

清水寺門前

簡単そうでしたが難しかったです。
まず、今は左に映っている三重塔は無くなっています。
右側の松原通のお土産屋さんの並びがポイントになりそうですね。
また、石の柵?の感じもヒントになりそうです。

なんとなく場所はわかるので何度かトライしてみましたが、なかなか難しかったです。

撮影した場所はこのあたり、仁王門の少し横です。

仁王門

そこから撮影してみると、こんな感じで撮れました。
ばっちりここ!っていうのがわからなくて、なかなかうまく取れなかったんですが、
帰ってからみてみたら、赤線の部分が一致する部分なんじゃないかと思います。

清水寺前

次回、清水寺に行ったときには再トライしてみたいと思います。

今回の撮影ポイントはこちら。



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四天王寺

石の鳥居から見る、極楽門と五重塔。四天王寺の古写真と同じ場所を探しました。

今回は四天王寺の写真です。

四天王寺

谷町筋から入ってすぐの、石の鳥居から覗く極楽門と五重塔の写真です。
ぱっと見て場所はすぐわかったのですが、実際に写真を撮ってみると少し変わっていました。

四天王寺 鳥居

石の鳥居のサイズをほぼ同じにして撮影してみましたが、極楽門や五重塔のサイズがどうも合いません。
昔は鳥居がもっと東側にあったのかもしれませんね、昔のほうがもっと近く感じます。
また、五重の塔の屋根の形が違ってますよね。
ちょっと調べてみると、室戸台風や大阪大空襲など、幾度も再建されているようです。

四天王寺 室戸台風の被害
<四天王寺公式HPより>

大阪大空襲で炎上する四天王寺の伽藍
<四天王寺公式HPより>

どちらもすごい被害ですね・・・・
炎上している写真なんか、関係者の人はどういう気持ちでこの光景を見てたのでしょうか。

詳細な設計図などは残っていなかったのかもしれません、完全に消失してしまっているので再建で形が変わったんでしょうか。
古写真の撮影はもう少し高いところのようにも感じるので、撮影ポイントの違いでしょうか。

今回撮影したポイントはこちら



撮影ポイントを探すのは簡単でしたが、これだけ時代が変わるといろいろと変わりますね。

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大阪城天守閣

大阪城天守閣の古写真から、今昔写真を撮ってきた

大阪城天守閣の今昔写真を撮ってきました。
大阪城天守閣までのお話は、もう一つのサイト全国観光地スタンプラリーで書きましたので、読んでください。

さあ、さっそく天守閣にやってきましたー!のところから。
今回の古写真はこちら

大阪城天守閣

わかりやすーい!
天守閣そのまま撮ればいいわけですね。

仕事の昼休みを利用して自転車で天守閣までやってきました。
台風が去った後なので、天気が良く気温も低くてちょうどいいくらいでした。
自転車で走ってもそんなに汗をかきません。
2、3日もたてば、また夏の酷暑が待ってるんだろうな・・・

さあ、今回は探すも何も、天守閣をそのまま撮ればいいだけ。
角度をそろえてパシャリ!ばっちりです。

大阪城天守閣

撮影前は、古写真の左にあるお店は、今も並んでいる店かなと思ってたんですが、

大阪城とお店

実際に行ったら違ったみたいです。
角度も違うし、もしかしたら改築で移動したのかな。

今回の撮影は超簡単でした。
これまで撮ってきてるのはどれも簡単なものばかり。
同じ大阪城周辺でいえば、

大阪砲兵工廠
大阪砲兵工廠とかもあります。



大阪砲兵工廠はここにあるので、また時間を見て行ってみたいと思います。

今日の撮影場所はこちら



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天満橋

天満橋駅方面から見た天満橋の姿の今昔写真

今回は天満橋の今昔写真を撮影してみました
天満橋の古い写真はこちら、

天満橋

撮影してから思ったけれど、これは天満橋北詰か南詰どっちからとったんだろうか。
勝手に南詰、現在の天満橋駅があるところから撮ったと思ったんですが、
もしかすると北詰の可能性もあるかもしれない。

とにかく、同じような角度で写真を撮れるところを探す。
南詰で撮ったとすると、ちょっと東の上流側から撮影しているので、今のOMM(マーチャンダイズマート)のあたり。
橋を下から眺めている感じなので、少し川側に降りたところですね。

おそらくこの辺から撮ったんじゃないかなぁと思います。



OMMの北側に川に降りる石段がありました。
そこを降りて撮影したのがこちらの写真。

天満橋

まったく同じ角度ではない感じですが、だいたいこの辺かなぁと思います。
もっとバッチリと取れた写真があれば投稿してください。

橋とかは、時代とともに場所が変わったりすることも多いので、
当時からここに架かっていたのか自信はありませんが、
江戸時代は一筋東に架けられていたそうです。
現在の橋は1935年に架け替えられたものですが、
古写真に写っているのはそのひとつ前の橋で、1885年(明治18年)の淀川大洪水により流失した木造の橋に代わって架け替えられた橋です。
まったく同じ場所にかかっていたのかわかりませんが、wikipediaでは明治時代の木造の橋は’谷町筋と空心町筋(現在天満橋筋と呼ばれる筋)を結ぶ位置に架け替えられた’と書かれています。

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大阪城古写真

大阪城の今昔写真を撮りに行きました 南から大手門方面に向かって撮影

前回のブログ記事の写真

大阪城

これを見たとき、左側に見えるのは大手門から出てる通りかなと思っていました。
タクシー降り場から歩いてすぐのお城の正門にあたるところです。
なので、大手門の南側かなぁと思って回ってみたんですが、そこに行ってみたら違いました。

その代わり他の違う古写真と同じ場所を見つけました。

大阪城

写真は南側から北に向かって写真を撮ると同じように撮れました。
少し傾斜のある通りが、大手門から出ている通りです。
大阪城の大手門は西側にあり、西側を通る上町筋沿いには、大手前高校や大手前小学校があります。
このあたりまで来ると、大手前小学校から子供たちが礼儀正しく登下校しているのをよく見かけます。

大阪城



この撮影した場所から東に続く道沿いには、たくさんの桜が植えられていて、
春にはとてもきれいな桜のトンネルが見られます。
大阪城は桜の名所でもあり、春にはたくさんの人が桜に囲まれた大阪城を見に来ます。

大阪城の桜

さて、撮った写真を比較してみます。

大阪城の今昔写真

ほとんど昔と変わっていませんが、
大きな櫓がなくなっていますね。
古い写真に写っているのは3階建の伏見櫓で、第二次世界大戦の終戦直前の空襲で焼失してしまったそうです。
秀吉の伏見城解体の際に、その多くの建物はいくつかのお城やお寺に移築されました。
伏見櫓というのは、特にその時にお城に移された建物をいいます。
ここにあった伏見櫓は他の一般的な伏見櫓よりも大きく、一般大名の天守にも匹敵するほどの立派な櫓と言われていました。
そんな立派な櫓が焼失してしまったのは残念ですが、きっちり古写真には写っていますね。


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