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今と昔の写真を比較して楽しむサービスです。
あなたの近くのあの場所は昔どんな風景で、どんな人たちが暮らしていたのか。
今と昔の写真を比べることで誰でも気軽にタイムスリップを味わえます。
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函館駅前

昔の方が賑やかだった。
今は寂れ果てている!

楠公銅像

せめて向きくらい合わせたらいいのに

東岡崎駅/名古屋鉄道名古屋本線

向きくらい変えりゃいいのに。

昭和34年8月水害 西高瀬川下溝町付近

記録には下溝町とありますが、川が直角に曲がり込んでいる所から、もう少し南の御前花屋町付近の地点かと思われます。四条から五条の区間ではこの川の欄干の表示は堀子川となり、実状には沿いません。撮影地は下京区となるはずです。

大阪駅/東海道本線・大阪環状線

この撮影場所を正確に言うならば、ルクアイーレと大阪ステーションシティ駐車場を結ぶ連絡通路になりますね。
当時のホームが通路として現役時代そのままの姿で残っていたのですが、最近、再開発で切り崩されたようです。

歩兵第八連隊

「歩兵第八連隊」は「難波宮跡公園」になっている場所に駐屯していました。
そのおかげで難波宮大極殿跡などの遺跡が破壊される事も無く残されたのです。

行在所 大阪城 本丸跡

戦後すぐ接収していた米軍の失火で失われた「紀州御殿」でしょうか。そうだとすれば「日本庭園」の東側付近になりますね。

大阪・梅田の新阪急ホテル(西館)のオープン

おそらく建て替え前の阪急百貨店屋上から写したものだと思います。

船場センタービル

元は「船場」と呼ばれた繊維の町で、中央大通りも現在の西行車線のみの狭い道でした。
中央大通りの拡張と阪神高速の建設によって立ち退かなくてはならなくなった繊維問屋のために作られたのが船場センタービルであり
移転先となったのが箕面の「船場」でした。

五条駅

京阪電鉄開業時の五条駅は五条通の南側にありました。今の西行車線になっているあたりです。
1956(昭和31)年、五条通が拡幅されるのに伴い北側へ移転して昔写真の光景になりました。
五条駅は、市電との交差が無い駅だったので上下ホームが同一場所にある駅でしたね。
(四条と七条は市電との交差があったのでホームは道路を挟んだ千鳥配置)

函館駅前

昔の方が賑やかだった。
今は寂れ果てている!

楠公銅像

せめて向きくらい合わせたらいいのに

東岡崎駅/名古屋鉄道名古屋本線

向きくらい変えりゃいいのに。

昭和34年8月水害 西高瀬川下溝町付近

記録には下溝町とありますが、川が直角に曲がり込んでいる所から、もう少し南の御前花屋町付近の地点かと思われます。四条から五条の区間ではこの川の欄干の表示は堀子川となり、実状には沿いません。撮影地は下京区となるはずです。

大阪駅/東海道本線・大阪環状線

この撮影場所を正確に言うならば、ルクアイーレと大阪ステーションシティ駐車場を結ぶ連絡通路になりますね。
当時のホームが通路として現役時代そのままの姿で残っていたのですが、最近、再開発で切り崩されたようです。

歩兵第八連隊

「歩兵第八連隊」は「難波宮跡公園」になっている場所に駐屯していました。
そのおかげで難波宮大極殿跡などの遺跡が破壊される事も無く残されたのです。

行在所 大阪城 本丸跡

戦後すぐ接収していた米軍の失火で失われた「紀州御殿」でしょうか。そうだとすれば「日本庭園」の東側付近になりますね。

大阪・梅田の新阪急ホテル(西館)のオープン

おそらく建て替え前の阪急百貨店屋上から写したものだと思います。

船場センタービル

元は「船場」と呼ばれた繊維の町で、中央大通りも現在の西行車線のみの狭い道でした。
中央大通りの拡張と阪神高速の建設によって立ち退かなくてはならなくなった繊維問屋のために作られたのが船場センタービルであり
移転先となったのが箕面の「船場」でした。

五条駅

京阪電鉄開業時の五条駅は五条通の南側にありました。今の西行車線になっているあたりです。
1956(昭和31)年、五条通が拡幅されるのに伴い北側へ移転して昔写真の光景になりました。
五条駅は、市電との交差が無い駅だったので上下ホームが同一場所にある駅でしたね。
(四条と七条は市電との交差があったのでホームは道路を挟んだ千鳥配置)

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