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千里中央~万国博中央口間

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千里中央~万国博中央口間
千里中央~万国博中央口間
年代1987年
撮影場所大阪府 吹田市 [MAP]
資料元: 宿泊・釣り・ショッピング・地位情報サイト より引用
Google MAP より引用

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  • オヤジ
    140 comments

    古写真は懐かしい大阪万博ですね。開催期間中はここに万国博中央口駅があり、当時小学生だった私は、親に連れられて何度か利用しました。minosun
  • ゲスト

    1987年と言えば国鉄からJRになった頃で、東京方面から大阪方面へは京阪神ミニ周遊券で夜行バスであるドリーム号を利用することが出来たので、現地での滞在時間を有効に使えて交通費を安く上げることが可能なために当時はよく利用していた。夜行バスは東京駅を深夜出発して大阪駅には早朝到着するダイヤになっているのだが、吹田JCTを急カーブして万博記念公園の前を通過して千里中央ICを急カーブするあたりの数分間はよく記憶に残っている。朝日が低い角度から丘陵地のすり鉢状の地形にそびえ立つニュータウン群の夥しい数の画一的な白い建物に照らし陰影のある遠景を映し出すとともに、早朝で交通量が少ない高規格道路を車高の高いバスがかなりの速度で急カーブを曲がるために車体が傾き、丘陵地の傾斜角度と相まって独特の景観を生み出していたのである。時間帯が早朝で社会活動の始まる前だからかニュータウンには人気がなく、どことなく人工的な都市空間の雰囲気を醸し出しており、まるで都市計画の模型のようであったりゴジラが出現する街のような様相を呈していた。当時の記憶を基にネット上にそのような雰囲気のある写真がないか捜していたのですが、残念ながら中途半端に古くてネット時代でもなかった1987年頃の様子をとりあげたページは案外少なく、目当ての写真を見つけることはできませんでした。あれから30年以上が経過し、当時は画一的な形状をしていたニュータウンの団地群も、立て替えなどで現代的なデザインの個性を主張するマンションが増えて建物の色や形のバリエーションも増えて、あの頃の有無を言わせぬ統一感ように妙な迫力はなくなってしまったとともに日常の一風景として特段注意も払わなくなってしまい、特に記憶に残るものではなくなってしまったのが残念ですが。
  • ゲスト

    左側に万博会場、右側に北大阪急行が見えているので千里橋から万博中央口を写した写真じゃないかと思います。千里橋は現在封鎖されているようなので、同じ場所から写すのは難しそうですね。万博会場内に見えている高架線は東急電鉄が運営していた「万博モノレール」の線路。「万博モノレール」は「日本初の日本型跨座式モノレール」線で、大阪モノレールや北九州モノレール、多摩モノレールなどは「万博モノレール」の子孫にあたります。
  • ゲスト

    今とちがいますね〜

  • ゲスト

    この近くで育ったものです。色々年代的におかしなコメントが寄せられているが、誰も指摘しないのでします。
    写真から言えるのは先ず年代が違う。左側にパビリオンとモノレールの単線軌条があるのと、人手と車がたくさん写っていることから1970年の万国博覧会の開催期間中といえる。パビリオンは1970年末、モノレール軌条も1971年の春には全て撤去されていたと記憶している。もし1987年ならもう少し木々が茂っているので。
  • 屋根裏
    63 comments

    北大阪急行線があるのと万博モノレールの軌道やパビリオン(ソ連館?)が見えるので1970年の万博会期中ですね。1987年ならモノレールもパビリオンも撤去済で「万博記念公園」になっているはずですし、北大阪急行線は中国自動車道になっているはずですから。
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