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大阪港 に関する日本の古い写真

旧住友倉庫の赤レンガ倉庫郡です。現在はジーライオンミュージアムとなっていて、昔の素敵な車たちが展示・販売されています。
古写真は大阪港の第二突堤の大阪市営タグボートの溜まり場ですね。当時はたくさんのタグボートが係留されて賑わっていましたが、100年の歴史に幕を閉じるようなかたちで事業縮小されたようで、2015年5月現在、たった1隻しかいないようで寂しい限りです・・・。minosun
古写真は昭和9年9月21日に大阪を直撃した室戸台風の被害を忘れず、また、犠牲者の霊を慰めるため、昭和11年9月に建てられた風水害記念碑塔だと思います。撮影当時以前より既に廃墟になっていて、子供心に気味の悪い建物という印象でした。2015年現在、築港中学校の敷地の一部になっていて面影はありません。それにしても大阪市営バスの停留所を示す木で作られた山吹色の表示板が懐かしいですね。minosun
古写真は大阪港の第3突堤に横付けされた船と宇部セメント(当時)を結ぶパイプラインでしょうか。2015年現在も活躍しているようです。遠くに旧大阪造船所のクレーン郡も見えますね。こちらのブームが赤白のクレーンは現在も元気に活躍しています。minosun
古写真は大阪港の第3突堤を第7岸壁に向かう途中ですね。撮影当時、大阪環状線から分岐した貨物線の支線が港の回りにたくさんあり、ディーゼル機関車が大活躍していました(たまに蒸気機関車も)。2015年現在、貨物の引き込み線はすっかりなくなり、今写真のようにアスファルトになっていたり、住宅や倉庫が建っています。minosun
1974年7月に開通した大阪港を象徴する港大橋です。当時中2だった私は、授業中に聞こえるヘリの音に「何事か?」っと思ったものです。夕刊で開通を知り、急ぎ自転車に乗って見に行ったものです。当時、車道はまだ一層でしたが、2015年現在、二層式になっています。対岸に南港が見えますが、古写真の当時はほとんど何もなかったように記憶しています。minosun
古写真は旧住友倉庫の赤レンガ倉庫郡ですね。撮影当時、この線路は大阪環状線より分岐し、浪速貨物駅を経由してここまできていました。この先はぐるっと回って、現在の海遊館まで続いていたものです。もちろん線路脇にはたくさんの倉庫がありました。2017現在、トラックの駐車場になっています。敷地への立ち入り、許可をくださった住友倉庫さん。ありがとうございました。minosun
古写真は大阪府警察 大阪水上警察の艇波止場ですね。2017年現在埋めたてられていて、壁のような堤防が唯一の痕跡です。minosun
古写真は、中央突堤の先端にあったハーバーレーダーですね。撮影当時、タワーの下は公園になっていて、周辺は人も車も自由に出入りができた憩いの場になっていました。2018年現在、タワーや公園もなくなっていて、多くの人で賑わっていた当時がうそのような寂しい場所になっています。minosun