今昔写語こんじゃくふぉとがたり

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倉敷に関する日本の古い写真

古写真の年代は児島が繊維の町として大変賑わっていた頃でしょうか。1960年代には既に長いアーケードがあったのが空中写真で分かります。随分と賑わっていたようですが、瀬戸大橋の開通に合わせて塩田跡に新しい街ができたこともあって、2017年現在、往時をまったく想像できない通りになっています。minosun
広大な塩田跡に瀬戸大橋の開通とともにJR児島駅ができ、新しい街が誕生して数年が経つとすっかり変わってしまいました。2018年現在、かつてここが長い長いアーケードの商店街で、かなり賑わっていたとは思えないほどです。でも、1998年当時はまだアーケードがあり、いくつかの商店は営業されていました。minosun
古写真の広大な塩田を横目に海まで続いていた川は埋めたてられ、2017年現在道路になっています。川には味野中学校の端艇部だったかボート部だったか、部の端艇が係留されていますね。川が道路になった後、端艇は遠く離れた児島海員学校の端艇と一緒に係留されるようになり、そこまで移動するのが大変だったのではないかと思います。minosun
古写真は高台に移転する前の児島高等学校ですね。
国旗が掲げられているということは何かのイベントだったのですね。2017年現在、立派な石柱も原型をとどめているのは1本のみで寂しいです。
年代からして、生徒の皆さんはもう還暦を過ぎて古希を向かえようといったところでしょうか?。minosun
古写真は1966年11月(昭和41年11月)竣工の大正橋の工事が始まっころではないでしょうか?奥にはそれまでの大正橋(2017年現在もあります)が見えていますね。minosun
古写真は昭和10年(今から82年前)ということですが、今も昔も変わらない景勝地ですね。minosun
古写真の彼方には塩田らしき光景と児島の街が見えますね。2017年現在、木々の生長もあって少々見晴らしが悪くなりました。minosun
古写真から46年たった今も、変わらない美しい風景と賑わいがありますね。近年は中国や台湾からの若い人も多く見かけるようになりました。minosun
古写真の頃(昭和9年)はまだ帆船も活躍していたのですね。2018年現在、巨大な橋が架かっていても、美しい景勝地は健在です。minosun
古写真から105年たった2017年ですが、ほとんど昔のままですね。でも、背後には巨大な瀬戸大橋が瀬迫っています。minosun
駐車場から上がって、いよいよ鷲羽山へという広場ですね。こうして見ると、2017年現在、正面の売店はなく工事が行われていますが、古写真の情景がよく残っています。minosun
古写真の児島文化センターは、1970年に巨大な工場跡に建てられました。それから47年経ちましたが、今も健在です。minosun
古くは両参り(由加神社・金比羅宮)参道の玄関港として栄えた田ノ口港ですね。それにしても古写真のすてきなご夫人方はいったい・・・。古写真から52年経った2017現在、ほとんど変わらない風景に感激です。minosun
古写真のビルは、初代児島駅の南側にあった小田川沿いの下津井電鉄の本社ビルでしょうか?2016年現在、ビルの痕跡はまったくありませんが、カーブミラーは更新されながらも健在です。minosun
古写真は明治41年の開校時のものですね。時代とともに児島商船学校→児島海員養成所→児島海員学校→海技大学校児島分校(2009年に廃校)となり、101年の歴史に幕を閉じました・・・寂しいですね。minosun
古写真のおじさんが渡っている川は、1960年代後半に塩田から出るガラで入り江とともに埋め立てられて道路になっています。この埋め立てにより、ガラ島は半島になってしまいました。2017年現在、明神燈台(味野燈台)は改修を重ねて残っていますが、ここからはまったく見えませんね。ちなみに燈台から児島の街に向かって川があったのですが、現在は児島警察署に続く道路になっています。minosun
古写真は何かのイベント帰りの皆さんでしょうか?橋の向こうに下津井電鉄線の架線や架線柱が見えますね。2014年現在、橋の欄干はすっかり変わって歩道になってしまいましたが健在です。minosun
古写真は2代目児島駅のホームですね。横の道路は2009年5月にはあったのですが、2017現在、味野ジャンボ歩道橋とともになくなり、遊歩道になっていました・・・。奥には現存する中国銀行 児島支店の建物が見えますね。minosun
古写真は1931年(昭和6年)の開業間もない鷲羽山駅でしょうか。まだ帆船が行き交う時代だったのですね。2018年現在、駅舎跡は廃線後に生まれ変わったサイクリングロードのトイレになっていますが、眺望は昔のままです。minosun